今日は段ボールで作ったノートをいただいたので、ノートにまつわる話をブログに書いてみます。こうやってつらつら書く話が面白いといってくださる読者の方もいるので、ちょっと気合を入れて書いてみたいと思います。
一体、段ボールで作ったノートなど何に使うんだ?
そう思いますよね。でも、持っているとアウトドアな時などにとっても便利かも。僕が普段持ち歩くリュックの中にしのばせておけば「書くものがない!」とあせることもなくなるし、ふと浮かんできた良いアイデアを書き留めることが出来ます。
そもそも書く紙によって成果物が変わることは明白な事実です。洞窟の壁面に書いていたときの成果と、現代のような白い紙に書き連ねたときの成果とは明らかに違います。思考の流れを落とすスピードさえも違ってくるんです。ここ大切にしたいです。
あれ?これは「ノート」?「手帳」?ちょっとその考察もしてみます。
まずノートと手帳の違い
僕の使い分けとしては、このようにしています。紙を束ねて筆記しやすい形に整えて複数枚で書けるようにしたものを「ノート」、そしてその中でも手のひらサイズの物を「手帳」と呼ぶようにしているのです。僕の中で、明確な区切りはないですね。
「ノート」は「手帳」を包括します。
こんな無責任なことを書いていると手帳のあのお方に怒られそうなので、そろそろやめておきます。でも「手帳」と呼ぶ限りは手のひらに収まって書きやすいものであるべきと考えています。そして定義などは自分の中でしていればいいと思ってます。
僕はとてもアナログな人間なので、読書をしたり、講演を聴いたりしたことを、ノートにまとめると理解が深まるということを経験から知ってます。これを読み返すとさらに深いとこまで考えることが出来ます。避けては通れない道なのです。
寝かせることの重要性を知る
10年前には全く理解できない本でも、今読むと深い感動に包まれるという経験はないですか?僕はよくあります。それは経験を積んだり、勉強した結果が血肉となって自分の中で積層されているからに違いないのです。
先日読んだ、小林武彦さんの『生物はなぜ死ぬのか』には、感動しました。
ここまで感動したのは福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』を10年ほど前によんだからに違いないのですが、僕の今の年齢が理解させてくれている部分もたくさんあります。積読本、もったいないと思わずに置いておきましょう。いつか役に立つかもです。
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございます。読者の方々に感謝です。