僕は2017年の7月19日にこんなブログ記事を書きました。「馬鹿とハサミは使いよう」という言葉が死語になったのは、ハサミが進化したからだ!この記事は僕のブログ記事の傑作のひとつですので、今後もブラッシュアップし続けなくてはなりません。
その内容を紹介します。(以下は、そのブログ記事を引用)
その昔、僕の祖母はハサミを上手に使って紙を切ることが出来ない僕を笑いながら「馬鹿とハサミは使いよう」という言葉を何度も浴びせたものだ。悔しくて、僕は練習してハサミのどの部分でどんな力を入れて切ればいいのかを習得した。
懐かしい思い出だ。子供にそんな残酷な言葉を浴びせかけていいものかと思うが、今思い返せば愛情の裏返しだったのだろう。祖母の狙い通り僕はハサミを自在に使いこなす人間になったし、さらには文房具のことを毎日書くブロガーになった。
この副効果を祖母は予想していなかっただろうと思う。こんな僕の姿を見届けることもなく、数年前に他界してしまった。将来、向こうの世界で再開したら、あなたの孫はこうなったんだよと教えてあげようと思っている。喜んでくれるはずだ。
さてさて、話を戻すと・・・
そもそも、この「馬鹿とハサミは使いよう」という諺は、どんな意味なんだろう?あまりにもストレートで下品な言葉に、平成の今になると戸惑うばかりだ。ちょっと意味を調べたり深堀したりしてみたくなったのでブログにかいておく。
さっそく、ヤフーの知恵袋で検索してみますと、こんなアンサーがありましたのでピックアップして紹介させていただきます。
「馬鹿とハサミは使いよう」の意味
これは省略形なので、全文を言うと「馬鹿とはさみは使いようで切れる」です。
はさみはきちんと研いで、そして切る時の角度や力の入れ方などで切れ方に違いが出ます。
これを喩えに使って、人間も(たとえ能力がイマイチな人間=馬鹿も)その適性を見極めて適した役目を与えれば決して他に劣ることのない良い結果を生み出してくれるものだ、という意味ですね。
最近のハサミはとても良く切れるので、切れないハサミがなくなった。家でも職場でも切れないハサミに会ったことがない。だから、この諺が死語になったに違いないのだ。文房具の進化が、僕たちを取り巻く言葉を変えた良い例だ。
そういえば、祖母は裁ちバサミのことを「ラシャバサミ」と呼んでいたっけ。ちょっと「ラシャ」って語感が怖くて触ってはいけないものと思っていたんですよね。そもそも「ラシャ」って、どういう意味なんでしょうね?
「ラシャ」バサミってどういう意味なの?
羅紗切鋏(ラシャ切鋏)の「羅紗」はポルトガル語のRAXAを音訳したものです。羅も紗も薄い絹織物のことですが、二字を合わせた造語の羅紗という布は、絹とは関係のない「毛織物の一種で地を厚く、織目を細かく表面だけをけばだてた物」のことを言う。
昭和の戦前まで冬物服地としてなくてはならなかったラシャ地は、今ではすっかり廃れてしまったが、名前だけは使われている。洋服縫製に欠かせないラシャ切鋏の渡来した時期は分からないが明治初年説がある。しかし、文久年間(1861~1864年)に幕府が投袋(ズボンのこと)を採用したりしているところからみれば、もう少し早い時期の幕末にラシャ切鋏を携行した欧米の洋服職人が来日したと考えられる。
幕末に開業の洋服店で舶来のラシャ切鋏を使って厚手の洋服地を裁断していたと思われるが、当時のラシャ切鋏は大きくて重く、日本人の洋服職人には扱いやすい道具ではなかった。大きく重い西洋風のラシャ切り鋏から日本人に使い易ラシャ切鋏に改良したのは吉田弥十郎(銘、弥吉)である。弥十郎は安政6年(1859年)生まれで、家業は千住の野鍛冶だった。12才の時に、刀鍛冶の弟子となったが、明治維新後廃刀の令が出て刀の製造ができなくなり、のちに日本独特のラシャ切鋏を創製した。そして、弟子、孫弟子、曽孫弟子たちによって正統派のラシャ切鋏として受け継がれて来た。(下記のページから引用させていただきました)
これがそのラシャ鋏です。
ほう!そういうことだったのか!面白いなぁ(^ ^)