先生が授業をちゃんと聞かない生徒に怒りをぶつけるために、チョークを投げつけるという話を聞いたことはある。漫画や映画などでもそんなシーンを見た覚えがある。でも、実際にはなかなかおめにかかれないものである。見たことある人いますか?
ちゃんと目標とするところに当たればいいですけれど、そんなに投げる練習もしていないものが当たるわけないと思うのだが、どうなんだろう。目標は、必ずや教室の後ろの方に座っている生徒のはずなので、野球でストライクを投げるよりも難しいと思う。
そして、外れた時に「先生の怒りは外れましたよ」という冷たい雰囲気が教室中に漂うことになる。そんなことに追い込まれるくらいなら、投げない方がいいという選択になるはずだ。このロジックを乗り越えてまで、チョークを投げる先生がいるのだろうか。
その理屈が正しいとしてみよう。すると、ちゃんと聞けという意味でチョークを投げつけることが許されるというなら、ちゃんと聞き取れるように発声しろよと消しゴムを投げてもいいことになってしまうような気がします。やはり間違ってますよね。
この辺りは、みなさんのコメントをお待ちしています。僕も、その昔に母校に教育実習に行って、初めて先生方の色々な側面を垣間見ました。高校生の頃に見ていた先生たちは、大学生になってから見てみると、とても人間臭い生き物でしたね。
さてさて、本題の文房具紹介に入っていきますね。
馬印さんの紹介です
馬印の社長である加藤さんには、とてもお世話になっています。突如、名古屋の文房具組合で講演をしてくれとお願いされたときに、その当時の組合役員の加藤さんが不安な顔をしている僕を優しくサポートしてくださったのです。その恩は忘れられません。
その後も、細く長くお付き合いが続いていることを嬉しく思います。
馬印さんは、こんな会社です。
ホワイトボード、黒板、チョークの馬印は顧客満足のため、商品の改良を120余年続けてきました。歴史が生んだ馬印の特許、半永久に消えない 「レーザー罫引」信頼の国内生産。自社工場で製造、販売、施工、メンテナンスまで一貫して、さまざまなご注文に対応できます。オフィス、店舗、学 校、官公庁、病院などで幅広くつかわれています。
小学校の頃は黒板と呼んでいました
僕の通っていた小学校の教室もすべて黒板が設置されていました。心の中で「緑なのに黒板」と思っていました。別にどっちでも良いのですが、黒くないものを黒板と呼ぶことには抵抗がありました。小さい声で緑じゃないかとつぶやいて抵抗していました。
昔は本当に黒板だったらしいのですが、昭和の初期に徐々に切り替わっていったそうです。圧倒的な理由は、目に優しいから読みやすいということ。黒より光の反射が少ないので、疲労軽減になります。そして、緑色には鎮静効果があるんだってよ。
黒色よりも緑色のほうが、白のチョークが視認しやすいという理由もあるそうです。先生たちは、ずいぶんと上手にチョークで字を書くなぁと感心していたのですが、きっと練習していたのではないかと思います。実際に、先生たちに聞いてみますね。
簡単にチョークの歴史紹介です
チョークの歴史は、教育や芸術と深く結びついて発展してきました。僕の中では、学校、授業、先生がチョークで黒板に書く、それを必死でノートに写す。という苦しい構図が思い浮かびます。いまどきの学生たちは、そんなことをしないでしょうけどね。
もともと「チョーク」という言葉は、石灰石や炭酸カルシウムを原料とする白い軟らかい石を指し、古代ギリシャやローマ時代には彫刻や建築装飾、さらには記録用として用いられていました。白亜という言葉が、まさにこれを指しているのです。
学校教育に広く普及したのは19世紀に入ってからで、黒板と組み合わせて使用されるようになったことで、集団教育の効率が飛躍的に向上しました。それまでの個別指導や板書の煩雑さを解消し、教師が大人数に同時に説明できる画期的な道具となったのです。
日本でも明治時代の近代教育制度の整備とともに導入され、戦後にかけて全国の学校に定着しました。やがてカラーチョークの登場により表現の幅も広がり、教育現場だけでなく看板やデザインにも使われました。最近はカフェの入り口でよくみます。
現在ではホワイトボード用マーカーの普及で使用機会は減少していますが、粉の温かみや独特の質感は今なお根強い支持を集めています。これからもまだまだ生き残っていくと思います。これで書いたものを見たときの温かみは特別なものがありますからね。
Yahoo!ニュースに書いた記事です
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