- 『モノカラー生誕50周年記念セット』です
- まずは、1969年に飛んでみましょう
- 1980年に飛んでみます
- 1990年に飛びます
- 2000年に飛びます
- 2013年はまだ最近ですね
- あわせて読んでいただきたい僕の文房具ブログ記事です
『モノカラー生誕50周年記念セット』です
ペンズアレイタケウチさんで『モノカラー生誕50周年記念セット:歴代デザインもの消しゴム+限定ピンバッチ』を買いました。久々に物欲が刺激されて、後先も考えずに購入してしまいましたので、結局は僕の部屋の消しゴムストックがまた増えました。
でも、今回のセットは¥600という良心的な価格ですから、何個か記念に買っておいてもバチは当たらない?って、思っています。頑張ってブログを書いてきた僕への密かなご褒美として、自分に買ってあげようと決めました。いくつ買うかはまた考えます。
1969年からスタートしているモノ消しゴム、その進化の系譜がみえる記念セット。僕もその4年前には生まれていたので、この消しゴムと一緒にタイムマシンに乗って僕の人生を振り返って見たいと思います。是非、読者のみなさんも同乗してくださいね。
このスリーブ(消しゴムの包み紙)は、1969年、1980年、1990年、2000年、2013年とモデルチェンジされてます。そのスリーブの変化を順番に見ていくと同時に僕の過去も振り返って見たいです。なかなか面白い企画でしょ?
まずは、1969年に飛んでみましょう
かなりプレーンなデザインの消しゴムだったんですね。当然のようにこの頃を懐かしく感じるほと長く生きてはありませんが、ノスタルジックな感じはしますね。MONOの「O」部分の六角形状やトンボペンシルズになっているところが特徴的ですね。
この年は東名高速道路が全面開通しました。人類が初の月面着陸を果たし、テレビアニメの『サザエさん』が放送開始された年です。カラー複写機(三田工業)が登場して、パイロットの万年筆『エリートS』が爆発的に売れた年でもあります。
この年の僕の記憶は、僕の弟が生まれたということを覚えています。1月4日だったので、とても寒い日でした。どんな会話をしたのか覚えていませんが早朝に親父の自転車の後ろに乗って、家から10分ほどの場所にあった助産院に向かいました。
どうやら無事に弟が産まれたらしいと聞いて、その助産院に入って行ったのですが、畳の部屋に布団を引いて母親が寝ていました。母親に「赤ちゃんは?」と聞くと「今はいない」と言われました。4歳でしたので、このくらいの断片的な記憶しかありません。
1980年に飛んでみます
MONOというブランドがかなり全面に押し出されてきたデザインになっています。売れてきたのでしょうか?ロゴマークもトンボだけになって、昆虫のトンボが下向きにデザインされています。縁起の良い勝ち虫のトンボがどこまでいけるか楽しみです。
この年は任天堂の初の携帯型ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」が発売されました。ルービックキュブ、チョロQ、もこの年に発売されました。ポカリスエットもこの年であまりの美味しさに度肝を抜かれたことを思い出します。良い時代でしたよね。
高校1年生の僕は特に何か目標があるわけでもなく、近所の公立普通科高校に通い、毎日SF小説を読んでおりました。本をコツコツ読んでいたら、いつか世界の真理に辿り着くような気分になっていましたが、そんな甘いものではなかったです。
1990年に飛びます
この年のデザインから六角形が消えました。ずいぶんスマートなデザインになったと思います。すっかり世は平成という時代に馴染んできた頃でしょうから、スマートでスリムな雰囲気が好まれるんでしょう。この時代は一体どんな感じだったのでしょうか。
この年はバブル経済崩壊で株が大暴落しました。スーパーファミコン(任天堂)が発売され、僕も友人の部屋で狂ったようにゲームをしていました。アッシー君という言葉も流行して、僕もなりたかったけど誰からも声がかかりませんでした。残念です。
僕はこの頃彼女が欲しくて欲しくてたまりませんでした、周囲の皆様に協力していただき、女性を紹介してもらっていました。9週連続お見合いデートして9打席連続三振。自分でもあきらめかけていて、パチンコと麻雀に乗り換えました。
そこから長い冬の時代に入りました。とても懐かしいです。
2000年に飛びます
僕にとって一番馴染みがあるデザインがこのMONOです。この「W」部分が良いんですよね。ついつい蛍光ペンでここの塗りたくなるのです。そして塗ってから、やっぱり塗らなければ良かったと後悔します。不思議なデザインの消しゴムでした。
ノストラダムスの大予言で人類が滅亡するかな?と、チラリとだけ思っていたので生き残っていることにちょっと得した気分でした。この年はシドニーオリンピックでわいた年でしたよね。僕も結構テレビにかじりついて観ていました。
この頃の僕は上司と折り合いが悪く、38歳でこの会社を辞める!と決めて、仕事が終わってからコツコツ勉強していました。でも、今考えると辞めるつもりはなかったんじゃないかな?って思えます。勉強といっても図書館で本を読んでいただけですから。
でも、仕事を早く切り上げて会社を辞める準備のために図書館で勉強すると決めたのは良い経験でした。おかげでたくさん本が読めました。この頃に読んだ本は今でも僕の血肉となって役に立っております。僕の考えを固めたのがこの頃の読書だったのです。
2013年はまだ最近ですね
この年は2020年の夏季五輪とパラリンピック開催地が東京に決定した年です。そんなことを書いていたら、もう開催チケットの抽選で白熱していることに気がつきました。うちの上司は「水泳が当たった!」とはしゃいでおります。良いなぁ。
まあ、申し込みしなければ当たりませんよね。僕は申し込みすらしなかったのですが、当たった上司をみていると申し込めば良かったなと思います。2013年頃は、僕は一体何をしていたんでしょうね。ちょっと検索してみました。
アメーバブログで1日に何回もブログ更新していました。文章量もとても少なくて一枚写真を撮っては言葉を添えて投稿みたいなことを繰り返していたのです。この頃の記事を読むと自己嫌悪に追い込まれるので、読まないようにしています。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。感謝します。